ホーム > 出身地 > 日本

日本生まれの歴史上の偉人・有名人達

現在62人の偉人が登録されています。  (全7ページ)
人気順に表示しています。

室生犀星

西暦:1889年8月1日 ~ 西暦:1962年3月26日  
日本 (石川県)    詩人小説家
室生犀星

ふるさとは遠きにありて思ふもの

室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道(てるみち)、1889年(明治22年)8月1日 - 1962年(昭和37年)3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。別号に「魚眠洞」。...

大野伴睦

西暦:1890年9月20日 ~ 西暦:1964年5月29日  
日本 (岐阜県)    政治家
大野伴睦

酒は飲む以上わけがわからなくなるまで飲むべきだ

大野 伴睦(おおの ばんぼく、本名:大野 伴睦(おおの ともちか)、1890年(明治23年)9月20日 - 1964年(昭和39年)5月29日)は日本の政治家。...

北条早雲

西暦:1432年 ~ 西暦:1519年9月8日  
日本 (岡山県)    政治家軍人

岩崎弥太郎

西暦:1835年1月9日 ~ 西暦:1885年2月7日  
日本 (高知県)    実業家
岩崎弥太郎

創業は大胆に、事業を受け継ぐには小心で当たれ。

岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、天保5年12月11日(1835年1月9日) - 明治18年(1885年)2月7日)は、日本の実業家。三菱財閥の創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。 土佐国(現在の高知県安芸市)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれ...

織田信長

西暦:1534年6月23日 ~ 西暦:1582年6月21日  
日本 (愛知県)    政治家軍人
織田信長

戦に勝るかどうかと兵力は必ずしも比例しない。比例するかそうでないかは戦術、つまり自身にかかっているのだ。

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男[注 5]。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつ...

徳川光圀(水戸黄門)

西暦:1628年7月11日 ~ 西暦:1701年1月14日  
日本 (茨城県)    政治家
徳川光圀(水戸黄門)

一騎で立ち働くことは、匹夫の勇であるから、大した御用にも立たぬ。

徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂...

土方歳三

西暦:1835年5月5日 ~ 西暦:1869年6月20日  
日本 (東京都)    軍人
土方歳三

一日過ぎると、その一日を忘れるようにしている。過去はもう私にとって何の意味もない。

土方 歳三(ひじかた としぞう)は、幕末期の幕臣、新選組副長。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の補佐役として数々の事件で武名を顕し、また隊内に厳正な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちにも恐れられた。戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を...

石田三成

西暦:1560年 ~ 西暦:1600年11月6日  
日本 (滋賀県)    軍人
石田三成

大義と思うものは、たとえ首をはねらるる期までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。...

源義経

西暦:1159年 ~ 西暦:1189年6月15日  
日本 (京都府)    軍人
源義経

道なくば岩をよじ、山をつらぬいてゆくまでよ。

源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。 河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当...

親鸞

西暦:1173年5月21日 ~ 西暦:1263年1月16日  
日本 (京都府)    宗教家
親鸞

非人を差別する者こそ、真の意味での非人である

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え[1]」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かっ...