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日本生まれの歴史上の偉人・有名人達

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法然

西暦:1133年 ~ 西暦:1212年  
日本 (岡山県)    宗教家
法然

どんなに難しく、厚い書物でも三回読めば理解し、暗記することが出来る。

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄...

渋沢栄一

西暦:1840年3月16日 ~ 西暦:1931年11月11日  
日本 (埼玉県)    実業家軍人官僚
渋沢栄一

死ぬときに残す教訓が大事なのではなく、生きている時の行動が大事なのだ。

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる...

長宗我部 元親

西暦:1539年 ~ 西暦:1599年7月11日  
日本 (高知県)    政治家軍人
長宗我部 元親

降伏した後でも天下への気概を忘れない。

長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位[3]、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。 長宗我部国親の長男で、母は美濃斎藤氏の娘。正室は石谷光政の娘で斎藤利三の異父妹。 土佐国の守護...

大谷吉継

西暦:1565年 ~ 西暦:1600年10月21日  
日本 (滋賀県)    軍人
大谷吉継

金のみで人は動くにあらず

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である[2]。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(ぎょうぶ)の通称...

西郷隆盛

西暦:1828年1月23日 ~ 西暦:1877年9月24日  
日本 (鹿児島県)    政治家軍人
西郷隆盛

正論では革命をおこせない。 革命をおこすものは僻論(道理に合わない論)である。

西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体: 西鄕隆盛、文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。...

北条政子

西暦:1157年 ~ 西暦:1225年8月16日  
日本    政治家
北条政子

皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。 故右大将軍(頼朝)朝敵を征罰し、関東を草創してより以降、官位と云ひ俸禄と云ひ、   其の恩既に山岳よりも高く、溟渤よりも深し。

北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡。兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局、時子など。 伊豆の流人だった...

木戸孝允(桂小五郎)

西暦:1833年8月11日 ~ 西暦:1877年5月26日  
日本 (山口県)    政治家軍人
木戸孝允(桂小五郎)

己れの生き方に関わるような大問題を他人に聞くな

木戸 孝允 / 桂 小五郎(きど たかよし / かつら こごろう、天保4年6月26日(1833年8月11日) - 明治10年(1877年)5月26日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。 長州藩出身。吉田松陰の教えを受け、藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の中心人物となり...

大江匡房

西暦:1041年 ~ 西暦:1111年12月7日  
日本    詩人
大江匡房

好漢 惜しむらくは軍学を知らず

大江 匡房(おおえ の まさふさ)は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。官位は正二位・権中納言。江帥ごうのそつと号す。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。小倉百人一首では前中納言匡房。...

蒲生氏郷

西暦:1556年 ~ 西暦:1595年3月17日  
日本 (滋賀県)    政治家軍人
蒲生氏郷

春夏秋冬どれか一つにかたよらず、家風を正すことが主将の器と言うべきであろう。

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(又はレオ)。子に蒲生秀行。...

加藤清正

西暦:1562年7月25日 ~ 西暦:1611年8月2日  
日本 (愛知県)    軍人
加藤清正

屍を戦場にさらすとも褥の上にて死なんとは思い設けず

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ) 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人である。各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一...